■歌枕にもなった乱れ模様のある巨石
福島市の東部、かつての信夫郡(しのぶごおりに、
東北を代表する歌枕、信夫文知摺(しのぶもじずり)
の故事を伝える巨石がある。文知摺石とよばれている。
古くより、信夫の里は、草木の色素をもって「乱
れ模様」に染める絹布を産した。乱れ模様とある
ように、その模様がもつれて(もじれて)乱れた
ように見えることから「しのぶもじずり」とよば
れた。
草木染めともいうが、草木や実などを衣に摺って
染めることは、有史以前から行われており花摺衣
ともよばれ、布に草花を摺りつけることから染色が
始まったとされる。信夫文知摺は、乱れ模様のある
巨石の上に白絹をおき、草で摺って模様をうつしだ
したものといわれる。「しのぶもじずり」を一躍有
名にした歌がある。平安初期の政治家で、嵯峨天皇
を父にもつ源融 (とおる)が詠んだ歌だ。
みちのくのしのぶもじずり誰ゆえに
乱れむと思ふ我ならなくに
(『磐座百選』より一部抜粋)
■東北最古、世界遺産・沖ノ島に次ぐ規模の祭祀遺跡
式内名神大社である都々古和気神社は、論社(ろ
んしゃ)が二ヵ所あり、棚倉町馬 場と同町八槻
(やつき )に、それぞれ「都々古別神社」として
所在する。が、建鉾山の東麓・三森(みもり)に
も都々古和気神社があり、馬場社の奥宮とされてい
るので、三森を初鎮の地と考えてよさそうだ。
ヤマトタケル(日本武尊)が東征のおり、建鉾山の
山頂に鉾を立てて、土着神であるツツコワケ神を奉
祀したことが起源とされている。ツツコワケとは、
籾を入れたツツコ(藁包)を交換する神事のことで、
品種交換の意とともに、農業神の性格を強くもつ。
建鉾山は標高402メートルの円錐形をした山でいかにも
と思えるほど神奈備山の様相を呈している。さま
ざまな山名があり、立 鉾(たてほこ)山・武 鉾
(たけほこ)山・武戈 (たけほこ) 山・高野
峯 (たかのぶ)山・都 々 古(つつこ)山などとよばれて
いる。遺跡は北麓と東麓の二か所にあり、東北地
方の祭祀遺跡中、もっとも豊富でかつ優秀な遺物
が出土したところで、遺物の量は、6,000をこえる
といわれる。
(『磐座百選より一部抜粋)